院長 永井 美也子
ながい みやこ
院長 永井 美也子 ながい みやこ
略歴
1998年 岡山大学歯学部卒業。
3年間、大阪市内で勤務医の後、
2000年より、東大阪市ヨリタ歯科クリニックに勤務。
2006年生駒市、ゆめはんな歯科クリニック院長を経て、
2007年大阪市に上本町ヒルズ歯科クリニックを開設。
所属学会・研修
- 日本歯科医師会
- 大阪府歯科医師会
- 大阪市天王寺区歯科医師会
- 日本フィンランドむし歯予防研究会会員
- 日本食育協会 食育指導士
所属団体・勉強会実績・認定証
- ヘルシンキ大学にて研修
- トゥルク大学にて研修
- CDTC(Clinical Dentistry Training Course)
- 食育指導士認定証
- 小児歯科保健指導2日間コース
- 感染対策と正しい洗浄・消毒・滅菌 実践編セミナー
- 全国禁煙アドバイザー育成講習会
- 池田市口腔機能発達支援研修会口腔機能発達サポーター養成講座
- 第二種歯科感染管理者
幼少小学生の頃
奈良市の出身で、ならまち近くの300年以上前に建てられた古い家に生まれました。曾祖母・祖父・祖母とも一緒に暮らしていました。そのため、おやつはジュースやチョコレートでなく、煎茶と和菓子や焼き芋といった環境で、むし歯にはなったこともありませんでした。
アレルギーと小児喘息が酷く、体が丈夫になるようにと、3歳からスイミングスクールに通っていました。おかげで、体質が改善され病気が克服でき、中学生まで水泳は続けていました。
また、友達がたくさんできるようにと、ガールスカウトに入会していました。ここで学んだ自由と奉仕の精神・そなえよつねには今も大切にしています。
中学高校時代
通っていた近所の学習塾の先生の薦めで中学受験をしました。幸いにも合格し、奈良から天王寺区にある母校まで小1時間通学していました。父が勤務していた会社も上本町にあったため、一緒に通うこともありました。
中学時代はテニス部に憧れていたのですが、見学で見た吹奏楽部に魅了され入部しました。クラリネット志望でしたが、当時から身長が高かったためバスクラリネット担当になりました。バスクラリネットは部員の中で1人だったので、地味ではありますが責任のある演奏をさせて頂いていました。
学校は勉学だけでなく行事が多く、富士登山や百キロ徒歩等様々な経験をさせて頂けました。そんな経験を共にした学友は今も仲が良く、一生の財産です。
歯医者を目指すきっかけ
出産と共に専業主婦になった母のアドバイスで、幼少期から一生仕事はしたいと思っていました。同時に、父の仕事の影響で建築に興味があり、建築士に憧れていました。そのため、センター試験受験時まで工学部を目指していました。しかし、センター試験で思うような成績が残せなかったことと、男性社会である建築業界よりもともと父自身が憧れていた医療の世界への挑戦を薦められ、急遽進路を変更しました。
大学時代
思いがけない歯学部の入学と岡山での一人暮らし生活でしたが、友人にも恵まれ充実した時間になりました。中学校で入部を夢見ていたテニス部(歯学部硬式庭球部)に入部し、春から夏は部活に励んでいました。テニス部は学部の中でも部員数が一番多く、先輩や後輩には在学中はもちろん、卒後も大変お世話になっています。また、テニス部は唯一全国の歯学部全てに存在する部活で、毎年軽井沢で行われていた夏のオールデンタルと言われる大会では32校すべての大学の方と交流もできました。
ただ、勉強は想像していたよりもハードで、特に3年時の解剖の試験時には早朝から深夜まで大学受験よりも勉強した記憶があります。
勤務医時代
大学での研究よりも早く臨床に携わりたいと思っていたため、開業医に就職しました。但し、研修プログラムがしっかりしているところが良いと考え、夏休みに20件近く見学に行き、就職先を探しました。当時は、研修医が義務化されていませんでしたが、マネキン実習や治療計画の立案、麻酔科での研修、朝に論文の抄読を行う等、育成に力を入れておられる点に惹かれ就職先を決めました。院長が高校の先輩であったことや、テニス部の先輩が勤務されていたことも決め手になりました。そこで3年間研修して頂き、基本的な治療を学ばせて頂きました。
その後、テニス部の先輩でもある東大阪市 ヨリタ歯科クリニックにて勤務させて頂きました。地域密着の医院で、お子様から高齢者までご家族ぐるみで担当させて頂きました。ちょうど治療中心から予防中心へシフトしようとされている時期で、予防歯科も学ばせて頂きました。子どもの歯を守る会カムカムクラブの設立、院内でのマザースクール・院外での予防啓蒙活動・さまざまな型での情報発信・企業との連携等、今につながる活動を始めたのもこの時です。
2006年には、初のパートナー医院の奈良県生駒市のゆめはんな歯科クリニックのオープンの、お手伝いをさせて頂き、院長として、多くの学び、経験をさせて頂くことが出来ました。その結果、故郷奈良の皆様にも、多くの方に喜んで頂くことができました。
ヒルズへの思い
医院創りの経験を生かし、高度な技術と、予防ベースの笑顔あふれる医院を、上本町でも創りたいと思いクリニックを開設しました。
なぜ、桃坂コンフォガーデンを開業の地に選んだのか?
その一番大きな理由は、この街が医療連携のある街づくりを特長の1つにしているからです。
私たちの診療所モールは、健康セミナーの開催や、他科および隣接する大阪赤十字病院との連携が、義務付けられています。
院内外でセミナーを開催し、情報を発信し続ける私たちとコンセプトが全く同じです。
この街づくりを実現できるのは、私たちしかいないと思うと同時に、私たちにしかできない街づくりを、歯科の立場から行いたいと思いました。
2つ目の理由。
私は東大阪市、奈良市に加え2006年より、大阪市や神戸市でも百貨店や(株)ベネッセコーポレーションのイベントで、マイナス1才からのむし歯予防を広めるマザースクールや、マタニティスクールを行っています。
1時間以上かけて遠方から、電車に乗って、来て下さる妊婦さんもおられましたが、大阪市や神戸市でご参加下さった親子の皆様には、ほとんどの方が、その場限りのお話になっていました。
ありがたいことに、主催者の方や参加者の皆様からご要望があっても、診療所が遠いため、実際のお口の中を診させて頂いたり、継続してお付き合いすることが、できませんでした。
そのことをセミナーのたびに、心苦しく思っていました。
今後は、奈良、東大阪、大阪の皆様と一回限りにならず、ずっと長くお付き合いできることを、とても楽しみにしています。
3つ目の理由。
上本町は私の憧れの街です。
実は、2005年より、私もこの上本町に住んでいます。
もともと私は奈良市出身です。
ですから2006年にオープンに携わった、ゆめはんな歯科クリニックもとても思いのある場所でした。
私は奈良市に住んでいながら、中学校、高校の6年間、天王寺区の学校に通っていました。
そして岡山大学卒業後、歯科医師になってから3年間、大阪市内の勤務先まで通っていました。
のべ9年間朝、夜鶴橋で電車を乗り換えていました。
そんな馴染みがあるだけでなく、大型医療施設が多くあり、文教地区である、魅力あるこの地で、開業したいと大きな夢を持って引っ越しました。
今では、近隣の聖バルナバ病院や17園の近隣の幼稚園・保育園と連携させて頂いています。
大きな魅力なるこの街と共に新しいコンセプトを持った私たちの医院も、成長し続けたいと思っています。